読んだ自分が悪いのか

そう、それは忘れもしない桜咲く春の日、日も沈みかかった頃でした……生協で本を購入したら、無料冊子も一緒に入っていたので読んだんです。学生の感想文を沢山掲載していて、その中に一冊、気になっていたミステリィがあったんです。そうなったらつい、目がいってしまうじゃないですか(引用文は、本物の文とは少し形を変えてます)。


叙述トリックが仕掛けられています』


この出だしでやめておけば良かったんですよね。でも、そのぐらいは何となく知ってたんです、有名な作品ですから。*1だからつい、読んじゃったんです次の文を。


『Yだと思って読んでいた登場人物が、実は全員Xだったというトリックです』


ネタバレ!!
ネタバラシ、が正しい日本語だそうですがそれはさておき。はじめの一行はぎりぎりセーフだけれど、次の文はアウトじゃないでしょうか。これを書いた学生の方、


『(上記の事を知っていても)読んでも多分気づく人は殆ど居ない』


と続けてるんですが正直それはどうだろう、と思いますが、最悪気付かなかったとしましょう。気付かないほど巧妙に仕掛けられていたと仮定します。そういう事もあると思う。ただ、これを知ってしまったが為に、彼(あるいは彼女だけれど以降彼に統一)が感じ、伝えたいと思っていた「衝撃」はショック材に吸収されてしまう事は、想像に難くありません。
どうも彼は「すごい叙述トリック」がある事は知っていたらしく、それを知っていた自分でも驚けたのだからこりゃすごい、と思ったらしいです。その気持ちは分かります。
ただここで問題なのは、
・彼が知っていたのは「叙述トリックが使われている」という点。
・彼がばらしたのは「その叙述トリックは全員がYではなくXになる、というトリックである」という点。
この差は、とっても大きい。それは「密室トリックが使われている」を「この密室トリックは列車の中で使われている」と広げたのとは、程度が違うわけです。何故ってそれは、対象が叙述トリックだから。
密室や時刻表を使ったアリバイなどは、読んでいれば最初、あるいは途中で「ああ、密室トリックだ」と分かった上で読み進めていくタイプで、それがどういう風に解かれるのかを気にできる状況で、読者に提示されます。
でも叙述トリックは大体のものが、叙述トリックである事に気づく時はそのトリックが解かれている状態なんです。それは作品の中で明確に「光は男性ではなく女性でした」と書かれている場合もあれば、読んでいる途中で「光は女性なんじゃないか?だとすれば辻褄も合う」と気付く場合もありますが、そのどちらも「これは叙述トリックである」事に気付くのと「その叙述トリックはどういうものであるか」に気付くのは同時です。だからこそ、叙述トリックに触れてもその内容に触れるのは、ネタばらしなんじゃないかな、と私は考え込んでしまうわけです。少なくとも、作品の中ではないところで、叙述トリックがどこに使われているのかを知らされるのは、魅力を大きく減退させるだけの気がします(逆に叙述トリックの存在を全く知らないで読み進めたとき、それに気付くと物凄い興奮できる、ので叙述トリックはその存在さえもそっとしておいてほしい……と思うなら書評を読まなきゃいいんだけどね。その辺は本読みとしてのジレンマです)。

*1:有名だけれどちょっと前の作品.