分析する事される事

人を分析するのが好きだって人がいる。それが正しい分析かどうかは関係がない。それに対して正しくないと思うよ、と分析対象に当たる人が反論してもそれは雑音になるわけである。「そのように反論すること自体が図星の証拠」ってやつだ。確かにそれはある種の真理で、自分でも何となく分かってるけれど指摘されるのは嫌だって事はある。けれど一方に、本当にそれはただの誤解で、そんな誤解をされるのは本当に気持ちが悪いんだって事もある。
そういう時私はもにょもにょします。


と言うのも「人を分析するのが好きな人の分析」になるのかしら。